「いつもありがとう」が苦手、という話

お気に入りの飲食店で「いつもありがとうございます」と言われてしまったら、もうその店に行けなくなる、という人は多いらしい。
恥ずかしくもあり、嬉しくもあるような、微妙な気持ちになり、勝手に気まずくなってしまうからだ。

例に漏れず、私もそんな人間だ。

現在働いている会社にはキッチンがあり、社員が自由にご飯を作り、みんなで食べる文化がある。
私もこの会社に入社してから何度も誰かが作ってくれたご飯をありがたくいただいていたのだが、あるタイミングで「堀内さんいつも食べにくるよね〜」と笑いながら言われてしまい、それ以降近づくことができなくなってしまった。

正確には、最初は「あはは〜」と適当に流せていたのが、同じ発言が3回ほど続き、もう無理だ、となった。

「いつもありがとうございます」と同じような微妙な気持ちになったのと同時に、私がとっつきにくい人間だから、そのくらいしか話しかける話題がないんだろう、必死に絞り出させてしまっているのだろう、それって迷惑な存在だな、と感じてしまった。

これはどう考えても私の深読みしすぎだし、本当はそんなこと考えてないし、その発言相手は当然何も悪くない。
というか、わざわざ私とコミュニケーションを取ろうとしてくれてて、そのきっかけにすぎない発言で、これはとてもありがたいことなんだと思う。

もはやこの思考は相手に対して失礼なだけだ。

そうわかっているのに、それでもやめられない。
これでもし仮に「そんなつもりなかった、ごめん」なんて言われても、もっと気まずくなるだけ。
認知の歪みを強く自覚しているのに直せない。

ずっとこうやって生きてきてしまった。

さて、ここでご飯を食べることをやめてしまうと、一気に「そういう人」になってしまう。
「そういう人」とは、「コミュニケーションに興味がない」「人に興味がない」「ひとりが好き」といった具合だろうか。

今年の年始、社員総出で初詣に行くと言うから着いて行こうとしたら、「堀内さんもこういうの来るんですね〜」と言われた。
「そういう人」になってしまっている証拠である。

あぁ、生きづらい。

こうやって勝手に居心地の悪さを感じて、勝手に居場所がないように思い込んで、適応できなくなっていく。
これが社会不適合者なんだろうな、とひしひしと実感する。

「それに気付くあなたもいつも食べにきてるってことじゃないですか〜」
とか、
「また来まーす!」
なんて、笑顔で言える人間でいられたらどれだけ楽だっただろう。

そんな人間ばかりなら、世の中スムーズにいくんだろうな。

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